2008/08/09

365 Bedtime Stories

"365 Bedtime Stories"を購入。

昨日のオリンピック開会式を見ていたら、やはり英語が出来るようにならないとと思い…。
日本橋の丸善で見つけて衝動買いしてしまいました。
とてもいい雰囲気の装丁。印刷もよい感じです。
365のお話(グリム・イソップ、アンデルセン他、世界各地より)が載っていて、全てショート。
ちょっとの時間で読むのに最適かと思います。

しかし、下記リンクからのAmazon価格は現在2,654円です。丸善では3,738円でした。
うわー、やっちゃったよー。これからは出先で洋書は買う時は、iPod touchで市場価格を調べよう…。
元を取らないと…。

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2008/08/04

犬のご近所づきあい

我が家の近くに、マンションのモデルルームというものが突如出来ていました。
最近のマンションはどこでもペット可だね。まぁ、不可が特別な状況だと言うだけでしょうか。
しかし、世の中には動物嫌いの人もいるだろうし、そもそもアレルギィを持っている人もいると思いますので、そのあたりの住み分けはどうなっているのかな。マンション事情に詳しくないのでわかりません。

さて、モデルルーム前の看板に書いてあった完成図によると、屋上にドッグランが設置されるそう。
これはいい発想ですね。芝生を施設すれば、屋上緑化も兼ねられます。犬や人間の踏圧に耐えたり、場合によっては犬の排泄による塩害に耐えないといけないので、管理が大変そうですけど。管理費を取ってきちんと庭師さんが手入れしてくれるならいいんですが、やりっ放しになると、見るも無惨な禿げ芝生が完成しそうです。

マンションにドッグランをつけると、当然各戸の飼い犬たちが集合する場が提供されます。
リードなしで運動する場を与えるという意味でも重要ですが、犬の社会化を促進する意味でも期待できますね。
どうも"犬力"の足りない犬たちが多いようですので…。

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進化論の5つの謎

「進化論の5つの謎」を読了。

なかなか体力のいる本だった。懐かしい、現代国語で読んだような文章…。
なんというのだろう。生物学ではなく、哲学から見た進化論というのか…。岡には分類不能。
うーん。将来立ち止まったときに、再読の必要あり…。

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2008/08/03

栗林 慧写真展~躍動する小さな生命(いのち)たち~

東京ミッドタウンのFUJIFILM SQUAREで開催中、栗林慧さんの写真展に行ってきました。
恥ずかしながら存じ上げませんでしたが、大変有名な写真家さんです。

自作のカメラとレンズで撮影されたという数々の写真は驚くべきアングルと距離で捉えられています。虫視点とでも言うのでしょうか。
カマキリ・スズメバチ・アリ。彼らが、今、そこで生きている、活動している様が捉えられています。
果たして彼らがどのように世界を認識しているのかは、人間には知るよしもありません。それはおそらく、人が犬の嗅覚世界を想像することよりもさらに遠方にあるはずです。
しかし、彼らの世界に思いをはせることで、逆に、人間とは何か、自分は世界をどう見ているのかについて考えさせられます。
人が"視(み)ているもの"が世界の全てではない…、それは妄想に過ぎないのです…。

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高橋留美子展

銀座松屋で開催中の高橋留美子展を観てきました。
日曜日とあって、大入り。観るのに体力がいります。

「うる星やつら」「めぞん一刻」「らんま1/2」「犬夜叉」のカラー作品を中心に展示。開催側の趣味なのか、「めぞん一刻」は特別扱いで、惣一郎さんの犬小屋があったり、五代の部屋が作られてました。
観ていて思ったのですがやはり、漫画は印刷芸術なので、印刷したときに美しく見えることを大前提として描かれています。

そういえば、先日、対決展に行ったときに、こう書いた。

技術的なことはよくわからないが、墨で書かれた日本画って、描き直しがきかないのではないかな。たとえば油絵であれば、上から絵の具を重ねていけばどんどん描き直せるし、絵に厚みが出て逆によくなるというもの。対して、若冲のような描き方では、一度書いた線は消せない。アンドゥはできないし、リドゥなんてもっと無理だ。一筆入魂である。

印刷芸術である漫画では、ホワイトが使える。どういう風に直しているかも含めて、観ていて面白い。
展示の最後に、My Lumという企画があって、有名な漫画家さん達がラムちゃんの絵を描いている。岡の気になるところをあげても、あだち充、青山剛昌、吉崎観音、あずまきよひこ、羽海野チカ、久米田康治、いとうのいぢ、安野モヨコ…、順不同…。
いやいや、これだけでも観に行く価値があるのでは。

ずっと高橋留美子さんの絵を見てきて、最後にいとうのいぢさんあたりが出てくると、あれ?と思ってしまう。どうやって描いているんだろう…、と一瞬。
そう、まさか手で紙に描いているわけはないのである。コンピュータで描いている。だから、ホワイトではなく、アンドゥなのである。印刷芸術なのだから、実態がなくなるというのは正当進化だ。座標(A,B)に色(R,G,B)が乗っているというのが絵なのだった。
するとこの先、漫画家の個展というものがなくなってしまうかも知れない。リトグラフにプリントされた絵を展示会で観る場合、果たして観ているは作家の腕なのか、プリンタの性能なのか…。

それからもう一つ。
飾られた絵を観に行くのだけれど、観ているのは単純な絵とは全く異なる。たとえば、「モナ・リザ」などという正体不明の何かを観るのとは違うのである。そこに描かれているのは、「ラムちゃん」であり、「音無響子さん」であって、会場の全員がそのバックにある物語や、描かれているキャラクタの正確というものを承知しているという点がもの凄い。共通認識として持っている「ラムちゃん」という"なにがしかのもの"があり(昔の哲学者はイデアといったかも知れない)、その上に絵を観ているのである。その、"なにがしかのもの"を形成しているのは、漫画という表現にふれていた時間である。コミックス何十巻、何千ページという共有した時間があって、読者が諸星家に存在し、物語に立ち会っていたからこそ、観ていて楽しいのだ。それは、読者が、高橋留美子の脳の中で遊んだ時間である。それがなければ、My Lumなどと言うことはあり得ない。Myモナ・リザなどはない。それをやると模写にしかならない。
また、漫画は生活に密着した表現なので、うる星やつらを読んでいた頃ボクは…、とまるで昔のスナップ写真を見るような楽しみもあるだろう。
5歳くらいの女の子を連れてきたお父さんが「ほら、惣一郎さんの家だよ!」などとやっていたが、子供は全く興味なしなのだ。当たり前である。惣一郎さんという"なにがしか"を共有していないその子にとっては、ただの作り物の犬小屋に過ぎない。展示されている絵も全て、なんだか漫画っぽいものが描かれているものであって、全くつまらない。早く帰りたくて泣いているのだ。しかし、犬夜叉コーナにくると大はしゃぎ。そして、じっと1枚の絵を眺めていた。その子にとっては、犬夜叉とアニメの中で過ごした時間があって、犬夜叉の"なにがしか"を持っているのだ。それを見ている絵にトレースしているから楽しいのだろう。

考えてみれば、芸術というのは何でもそうで、背景があってこその表現なのである。目の前にぽんと放り出された作品を本当の意味で楽しむことは出来ない。いつ、誰が、どういう状況で、それをなしたのか。そういった知識が芸術鑑賞の必須アイテムなのである。
美術館やコンサートには、予習してから行こう。

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カマキリをさがせ

夏休み。
8/13〜17ですが、このまま素直に進行すれば、岡山へ行くことになるのですが(ちょっと仕事関係が怪しい雲行きではある)、岡山でいったい何をしようかと…。

そんな折、こんな企画を発見!

自然しらべ2008 夏休み カマキリをさがせ!

素晴らしい。
ネットとデジカメが普及したからこそ出来る企画。 実は、カマキリの詳しい分布はわかっていないと。人海戦術で調べようというわけですね。

小学生に負けずに、ボクも探そう。
24の夏。

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